どん詰まりの先で2人は閃光となった───舞台『閃光ばなし』の話、

 

【あらすじ】

 

昭和38年、東京・葛飾区青砥。

度重なる浸水被害に対応するために計画された用水路・新中川は、区を東西に分断する川であった。

橋の工事が遅れ、一部の住民は毎度遠くの橋まで日々迂回をしなければならず、商いにも支障が出、不便な生活を強いられていた。

この『橋がかからない問題』、実は区議会議員・菊田甚八(演:みのすけ)と商工組合の会長・底根八起子(演:桑原裕子)が、悪タヌキと囁かれる野田中報労(演:佐藤B作)が会長をつとめる高砂交通の利用者を増やすために仕組んだことであった。

そんな事情も知らず、自ら橋をつくり、違法建築として取り締まられ、撤去の憂き目にあう住民たち。

この『どん詰まり』の状況を打破するため、立ち上がったのが、川沿いで自転車屋を営む佐竹是政(演:安田章大)と、その妹の政子(演:黒木華)だった。

彼らは自転車を改造したバイクタクシーを使って客を運ぶ事業を起こし、たちまち繁盛。しかし、それを野田中が野放しにしておくわけもない。

どん詰まりの住民たちと、政治権力を持った野田中達の闘いの行く末、そして世の不条理を打ち破ることはできるのか?

(閃光ばなしパンフレットより)

 

全速力で迂回しろ

この舞台でめちゃくちゃ好きだったセリフ。

橋をかけるのは違法建築で取り締まられるし、かといって船で移動するのも失敗に終わってしまった。どうしたものか…というときに是政の目の前に、亡くなったはずの父・是一が現れ言った言葉。

『どうせ行く先はクソだ』

『早く着けばその分クソにまみれる時間は長くなる』

『かと言ってゆっくり行くほど、青春は待ってくれない』

『なら、全速力で迂回しろ』

 

その言葉を聞いて、是政はバイクタクシーを思いつく。

生き急いで次の場所に辿り着いても、どうせこの世はクソなのに変わりない。

でも移り変わりの激しい時代は、悠長な人間を容赦なく置いてきぼりにする。

『全速力で迂回しろ』は、前置きが長い是政だけじゃなくて、観客全員をもれなく突き刺す言葉に思えた。

雷に打たれたような、そんな気持ちになった。

これが1度目の閃光。

 

プラスでもマイナスでもいい。ゼロから離れて生きていたい。

この舞台のキャッチフレーズであり、政子のセリフでもあった。

この言葉は、『全速力で迂回しろ』の延長にある。

そして政子の、母が失踪したときからの生き方であった。

バイクタクシーを思いつく前、船で向こう岸まで渡ろうとして失敗し、川に落ちてしまった兄妹。岸に上がり、兄より先に目覚めた政子は兄に向かって、

『全部私のせいです。ごめんなさい』と頭を下げた。

船で移動しようとして失敗したことに対する謝罪ではないとすぐにわかった。

じゃあ何に対して?

物語の後半でわかった。

是政と政子の母は、2人が幼い頃に消えたまま、戻らなかった。

母は1度は2人の前に姿を現そうとした。

戻ろうとしたのだが、戻らなかった。

政子はそれを「私が楽しそうにしてたからだ」とずっと思っている。

そのことに対する謝罪だったんじゃないか。

政子は奔放な言動で周囲を振り回し、明るく振舞っていた。

私にはそんな政子が「楽しそう」に見えていた。終始。

自分の「楽しそう」のせいで母が戻らなかったのに、「楽しそう」にすることをやめてしまったら、政子はその時本当にいたたまれなくなってしまう。政子は、楽しそうにすることで大嫌いな自分を許さずに、律していたのかもしれない。大嫌いな自分から離れるために。

政子のせいなんかじゃないのに。

そんな自分から離れて、他の誰よりもゼロの状態から離れて生きていたかったのは、政子なんだと思う。

 

沈黙は時に1番残酷

みんなのためじゃなくて自分のため

川向うで人々の信仰を集める寺のお嬢様であり、是政の元婚約者・白渡由乃(演:安藤聖)のセリフ。

彼女のセリフも好きだった。

是政が彼女との結婚式当日、町のみんなのために壊れた電柱を直しており、式をすっぽかしてしまったため、2人は破局した。普通に酷い。

『みんなのため』、結婚式よりも電柱の修理を選んだ是政。キレそう。

『その“みんな”の中に、私は入ってなかったってことですよね?』

沈黙する是政。

『沈黙は時に1番残酷』

もう是政に弁解の余地はない。

そういえば政子が『私は幸せになるわけにはいかないのです』と言ったときにも、是政は沈黙した。

『困ってるよね』とすかさず政子。

『沈黙は時に1番残酷』、これほど残酷なセリフがあるだろうか。

父・是一は、『みんなのため』なんて言わずに

『自分のため』だと潔く言える人だった。

私の言う“みんな”って、誰がいるんだろう。

是政だけじゃなくて、また観客全員に問いかけられたようなセリフ。

2度目の閃光。

 

ラストシーンで“閃光”になった2人

バイクタクシー会社を起こした住民たちと、それを全力で潰してくる権力者の闘いは、物語の終盤、もう誰がどう見ても、というかそうとしかならないだろうと思っていたが、権力者の圧倒的優勢。

自転車を改造したバイクの安全性を問われ、訴えられてしまった是政。もう、見て見ぬふりをするしかなくなった住民たち。仕方ない。自分たちが生きていくためだ。是政が勝訴する可能性なんて1ミリもない。

ゼロから離れて生きようとし続ける政子に連れられ、バイクに乗り逃避行する2人。

追い詰められる2人。

逃げ場はなくなる。

行く先は崖だ。どうする。

考える暇もなく、2人は飛んだ。

 

ああ、閃光になったんだ。

背景に映し出される線香花火を見て思った。

どんな感情なんだろう、これ。

悲しいのか、苦しいのか、ほっとしたのか。

 

崖から飛んだのにも関わらず、2人は無事だった。無事やったんかい。もうなんか、最悪の事態を想像してしまった。安心、してるのか。私は。

 

結果的に、崖から落ちたバイクも無事で、安全性を保証する材料になると、また裁判に立ち向かっているかのような描写。

かつての住民たちがほとんどいなくなってしまった町で、盆踊りを踊る政子。

そこで幕を閉じた。

たぶん、きっと、是政は生きている。

けど、結末はわからずじまいだった。

まさに閃光。一瞬の光。

瞬間的に明るく煌めいて終わった。

2人は観客一人一人の中を駆け抜けた閃光になった。

 

『閃光ばなし』という舞台

踏ん張らせてくれる作品だった。

長い長い光とか希望とかじゃなく、雷のような、瞬間的に発せられる光。

ところどころ舞台の演出に使われた雷。

稲妻のような勢いと、線香花火のような儚さを持っている。

美しさと泥臭さの両方を持ち合わせた作品だった。

福原さんによると、「どうしてこの作品を作ったのですか?」の質問の答えは「イライラするから」だそうだ。私はこの答えが大好き。

「イライラする」負の感情からいつも良作は生まれる。ような気がする。

不条理な世の中への不満。虚しさを感じたり、堪らない気持ちになったりと、この世界に疑念を抱き続けている人が作る作品だから、こんなにも胸が震えたんだろうと思う。

『閃光ばなし』を観劇して、これは福原さんの怒りでもあるんだろうなと感じた。

希望の光とかじゃない、雷のような閃光の正体は怒りなのかもしれない。

 

幕が上がり、住民たちと警察の闘いから物語は始まった。

もうとにかくうるさい。うるさくて愛おしい。

そのときに確信した。

絶対にこの舞台、最高だぞ…

その期待を全く裏切ることなく、むしろ上回ってきた。胸の内から震えた。

コロナ禍と呼ばれる時代に突入して、声を出すことすら控えなければならない時世となった。

うるさいってこんなにも懐かしくて愛おしいんだ、と泣きそうになった。

「“ガヤの声が大きすぎて自分の台詞が聞こえない”という状況での稽古もとても幸せなことだと実感しています」という、黒木華ちゃんの言葉がパンフレットにも載っていた。

 

そして何より、舞台ってこんな使い方できるんだ!と感心した。

舞台の奥行って限界があるのに、それを感じさせない。本当に川の向こうがあると思えた。

そして、ラストシーンでバイクに乗って崖から飛んだ2人。

クレーンの先にバイクがついていて、2階席の人の方が近くで観られたんじゃないか?と思えるくらい、頭上を超えていく2人。

たぶんあのとき私瞬きしてなかったと思う。

本当に凄かった。

 

安田くん、毎回お芝居を見る度に思う。

もう安田くんじゃなくて是政なんよなあ。

前作『リボルバー』ではカーテンコールでもずっとゴッホだった。役が全く抜けていなくて、彼の覚悟を目の当たりにした。そこに恐怖すら感じた。

でも今作では、4回のカーテンコールで2回目までは是政だったんだけど、3回目からはいつもの可愛い笑顔を見せてくれて、安田章大に戻っていた。

安田くん、これからどんどんお芝居の仕事が増えてたら私が嬉しい。

もちろんスクリーンでも、テレビでも嬉しいけど、安田くんのお芝居って生が1番映えるんだろうなあと思う。

 

そして黒木華ちゃん。めちゃくちゃ声通る。

ほんでめちゃくちゃ可愛い。

ドラマや映画で今まで演技見てきて、本当にいろんな役になれて素晴らしい女優さんだなあと思ってた。私の両親も黒木華ちゃんが大好きで。

この舞台を観劇して、彼女の新たな演技を見て、完全に虜になってしまった。

もうなんだか、カンパニーごと愛おしい。

そう思える舞台だったなあ。

 

“どん詰まり”を生きる

『閃光ばなし』、千穐楽となるはずだった10月30日12時公演は、舞台関係者のコロナウイルス感染により中止となってしまった。

悔しくてたまらない。誰も悪くないからこそ、やり場のない悔しさと悲しさとやるせなさ。

散々、ウイルスにエンタメが奪われた。

でもエンタメ業界は足掻いて、不要なんかじゃないと静かに足掻き続けて、やっと、ここまで来たのに。

でもこの、どん詰まりから中々抜け出せない感じ。『閃光ばなし』らしいっちゃらしい。

悔しいけどね、めちゃくちゃ悔しいよ。

でも悔しがってばっかりじゃ前に進めん。

それもこのコロナ禍で学んだことの1つ。

だから無理矢理、一瞬の光となるものを見つけよう。

『閃光ばなし』を観劇してたからこそ、そう思えた。

 

この時代に、『閃光ばなし』という舞台に出会えて本当に良かった。

私はあの一瞬の光を一生忘れない。

このどん詰まりで、クソまみれな世界を、

全速力で迂回して生きていってやる。